日吉台-その命名の由来ー
昭和44年、土地区画整理組合発足にあたって、組合名称をどうするか、新開発のこの地をどう名付けるか。新誕生のこの住宅に住むであろう全ての人々の幸福と、この地の繁栄を願ってそれに相応しい名前を。春日と吉田の両地名から1字ずつをとって日吉台ヶ丘・日吉台。南に面した傾斜団地で、陽(日)当たり良(吉)しの新開台地だから…日吉台。将来の繁栄・成長を願って…。 いずれにせよ、幸あれと願う組合員各自の諸々の思いが、期せずして「日吉台」に一致した。
もちろん名称のみでその将来の全てが決定されるものではないが、世は移り変わろうとも、住む人々がこの地開発者の切なる願いを汲み平穏と希望の日々を送られることを祈っている。
福山市日吉台土地区画整理組合発行「わが心の故里日吉台」より
日吉台の沿革・概要
- 明治22年 能島村、浦上村、宇山村、吉田村の4村合併により、「春日村」に。
- 昭和30年 春日村、大津野村、坪生村の3村対等合併により「深安町」に。
- 昭和37年 深安町は福山市と合併により「福山市大門町」に。
- 昭和40年 旧春日村が「春日町」、旧坪生村が「坪生町」旧大津野村が「大門町」に。
- 昭和45年 土地区画整理事業の開始(昭和49年一部入居開始)
- 昭和53年 地区内を日吉台とし、その中を字城山、字西、字中、字東、字小松とした。
- 昭和56年 日吉台小学校開校式、日吉台幼稚園開園(現在休園中)日吉台学区町内会連合会発会 小松町内会、吉田町内会、日吉台町内会、日吉台団地町内会、蔵王町12区町内会1,276世帯で構成された。
- 昭和60年 日吉台公民館開館
- 昭和63年 山陽自動車道・福山東インターチェンジ完成
- 平成26年 日吉台幼稚園(現在休園中)に日吉台くらぶ開所